2013年10月31日木曜日

北米に定着した民間行事ハロウィーン (Halloween)


今日10月31日はハロウィーンですね。もともとはイギリスやアイルランドで秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な行事だったようですが、今は宗教的な意味合いはなく北米の民間行事として定着し、皆コスプレを楽しんでお菓子をもらう日という感じになっています。

息子も例外なくこのハロウィーンが大好きで、去年はバットマンを着て今年はパワーレンジャーのコスチュームを着る予定です。朝からそのコスチュームを見ては興奮してました。

去年僕は初めて息子と妻とともに暗くなってから近所の家々へ向かい「Trick or treat(トリック・オア・トリート、(悪戯がいい?それともお菓子?))」といってお菓子をもらいに行きました。最初この言葉を聞いた時「Take a treat」に聞こえました。お菓子貰いに行くのにお菓子どうぞってどういうこと?と思ってました。。

妻に聞いたら「なんか良い物くれないと家を壊すよ!」という感じなのだそうです。家を壊されたくないからじゃお菓子で勘弁してねといったニュアンス。去年初めて回って思ったのが、以外にも皆無防備だということ。家で待っている人たちがトントンとノックをすると簡単にドアを開けます。でももしこの行事を利用して悪いことをしようとする人がいたら?と思いましたが、この行事でなにか事件があった話はあまり聞きません。ハロウィーンができるということは治安が良いということなのかもしれませんね。

今日はきっと帰宅時渋滞になるでしょう。皆子供を連れてお菓子をもらいにいかないと行けないので早く帰るからです。僕も気をつけて帰って息子と一緒にお菓子を一杯もらおうと思います。ただ今日は雨降ってるんですよ。。去年も確か小雨が降っていました。雨のハロウィーン。さてどうなることやら。

ありがとうございます。

ハロウィーンの続編はこちら!

知らない訪問者を優しく受け入れる不思議なハロウィーン



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2013年10月30日水曜日

[僕の息子はカナダ人 1]溺愛する息子の誕生に感謝した日(女性というのはまったく素晴らしい!)

今日はフライトのことから離れて溺愛している息子の話を少し書きたいと思います。彼はカナダで生まれて今4歳ですが、非常に健やかに育っています。[僕の息子はカナダ人]という題で息子の成長や僕の息子に対する思い、僕なりの日本語教育、また僕なりの子育てなどについて書いていきたいと思います。

独身の頃から子育てに興味があった僕は大学時代子育てに関する本(初めに影響されたのはソニーの井深 大さんの「井深大の胎児は天才だ―教育は生まれる前からはじめる 」です。子育ての真髄を教わりました。とても良い本だったのでご興味あれば是非読んでみてください。)を沢山読んでは、子育てに思いを馳せまだ見ぬ自分の子供にあんなことやこんなことをしてやろうと時間があれば考えていました。また親戚と共にいった温泉旅行で自身の子育て論を兄弟や同じ世代のいとこにノートパソコンでプレゼンしたこともありました。(笑)もうそんなことみんな忘れてると思いますが、今ではみんな子供を授かりそれぞれが日々子育てに励んでいます。大学時代子育てに思いを馳せた自分が今父親となりその夢を叶えている。本当に幸せなことだと思っています。
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ちなみに僕は4人兄弟で双子(2卵生双生児)です。僕以外みんな女で姉には2人の子供がいて、一番下の妹は先日元気な女の子を出産したばかり。双子で僕の相方であるもう一人の妹は来年3月が予定日です。今は2人の新しい命に会いたくて仕方ありません。

息子の話をするにはやっぱり彼が生まれた時のことを書かなければなりません。あの感動と感謝の気持ちを忘れないよう書き記しておきたいと思います。

妻が妊娠40週のときです。予定日が2009年の5月27日。すでにそれから6日過ぎてもなにも兆しがなく、とてもとても不安でした。でも6月2日の夜中2時ごろ待ちに待った最初の陣痛がきました。4時半ごろにもう一回。それから段々とその周期が短くなってきたので8時半に病院にいきました。準備室でしばらく安静にして、検診を受けるともうすでに6cmから7cm開いているといわれ、分娩室へ移動しました。普通このくらいになると妊婦さんはつらい顔をして呻くらしいのに妻は「えっそうなの?」とケロッと言って笑っていました。お医者さんも横にいた看護婦さんも僕も妻もみんなびっくりです。

分娩室に入ると段々と近くなってきた陣痛の周期がゆっくりと弱くなっていきました。妻と二人してまた不安が募りましたが14時ごろ看護士さんがきて「ちょっとトライしてみましょうか」とお医者さんがいない中で息むことになりました。僕は妻の左横に立ち右手で妻の首を支え、左手で妻の左足を持ちました。小さい陣痛がモニターに示されたときに看護士さんが「さぁーいきましょう!」と最初の息みです。大きく息を吸って口を閉じて力いっぱい息む。段々真っ赤な顔になっていく妻をみて「頑張れ!」と叫びました。こっちまで力が入ります。妻がひざとおでこが付くくらい力入れてもいいというのでできるだけそうしました。何回かトライした後ある程度頭が見えはじめたので、看護婦さんがお医者さんを呼びました。そしてさらに何回か息むと頭全体が見えはじめました。。

ここでちょっと話を脱線しますが、出産準備クラスを受講したときに骨盤のデザインについての話に感銘を受けました。模型とともに赤ちゃんがどのようにして出てくるかを教わった時、赤ちゃんがまずは横を向き、そして骨盤の中に頭が入る。でもそのままだと尾骨に肩がつかえるので90度回転させて赤ちゃんが仰向けになるようにして出産すると聞きました。骨盤のデザインは複雑だけどそのデザインのおかげで丈夫で小さくできていると聞いて純粋に素晴らしいと思いました。

さらに感動したのは、胎盤についてです。胎盤はへその緒を通して酸素や栄養分を赤ちゃんに送る重要なもの。胎盤はお母さんの体の中で赤ちゃんのために作られる全く新しい臓器だと聞きました。赤ちゃんのためだけに作られる新しい臓器。すごい!なんとも神秘的だと思いました。

僕はこの出産前クラスを受けてからずっとおなかの中の息子にこのことを特に骨盤のデザインについてそして出産時の心構えをずっと伝えてきました。「最初は仰向けではなく必ず横を向いておきなさい、そしてお母さんに迷惑かけずツルッと産まれておいで。そのほうが赤ちゃんもラクだからね。それで出てきたら思いっきり泣きや」と。だから常に横から、そして頭が下に来るように恥骨の辺りで赤ちゃんに絶えず話しかけてきました。

それで話は元に戻りますが、このちょっとした試みは見事に報われて、赤ちゃんはしっかりと横を向いて出てきました。お医者さんの手によって90度回転し伝えたとおりツルッと出てきて、分娩室の外まで響き渡るくらい大きな声で泣きながらこの世に誕生しました。熟練の看護士さんが「わぁーこの子は上手に歌うわねぇ。」と言ったのが印象的でした。

2009年6月2日15時26分、3642g、53cmの元気な男の子の誕生です。

息子が生まれたカナダ、トロント市内にある「セントマイケルズ病院
へその緒を切らしてもらい、その後お医者さんが胎盤を取り出しました。僕は非常に興味があった胎盤を見せてもらいました。そこで自然とある疑問が。この新しい臓器、胎盤はどうなるのか。看護士さんに尋ねました。そしたら廃棄すると。。なんとも悲しい気持ちになりました。9ヶ月息子を支えてくれた胎盤。そりゃもう素直にありがとうと言うしかないですよね。泣きながら胎盤に向かって心の中で「ありがとう、ほんまにありがとう」と言いました。

毎月来る生理、そしてその痛みはすべてこの瞬間のためにあって、天文学的な確率で妊娠し9ヶ月もの長い間その小さな命を新しい臓器とともに守り抜き、力強くそして決してひるむことなく出産し、殆ど決まった時間にあふれだす母乳で赤ちゃんに栄養と免疫を与えていく。

僕は妻にそして世の女性に感謝の気持ちでいっぱいです。子供を授かる世の男性には出産に立ち会うことを強くおすすめします。女性というのはまったくもって素晴らしい、と感じるざるを得ないでしょう。

出産前赤ちゃんの病気のことなどいろいろと本当に不安でしたが、母子ともに健康に産まれてきた息子をみてありがとうの一言でした。本当にありがとう。

この後生命の力強さをひしひし感じながら自らの子育ての思いを息子に伝えていくのでした。
次回は彼の成長ぶりなどを書きたいと思います。お楽しみに!

ありがとうございます。

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2013年10月29日火曜日

[思い出のフライト2の続き] 絶体絶命、ホワイトアウト!?恐怖のナイトフライト 後編

視界が遮られるホワイトアウト
視界はどんどん悪くなっていきます。これがホワイトアウトか、というくらい前が見えなくなってきました。ナイトフライトでホワイトアウト、最悪です!次第にフロントガラスの下の方になにか積もってきました。雪でした。少し粘っけのあるというかシャーベット状の雪が段々積もってきたのです。

「これ、ホンマにやばいんちゃうん!?」という友だちに「いやいや大丈夫や!」とさらに強気で言いましたが、心臓はバクバクしてました。経験したこともない視界の悪さ、雪がフロントガラスに積もるって、そんなん体験したことない!

そんなもんワイパーで落とせばええやんと思うかもしれませんが、実は旅客機にはついていますが小型飛行機にはワイパーなんてついていません。フライト中に雨が降ってきても風圧で飛んでいくのでワイパーなんて必要ないんです。じゃこんなときどうすればいいのか!積もっていく粘り気のある雪をどうやって吹き飛ばずのか。

セスナ172のコックピット
パイロット・イン・コマンド(機長)は僕です。心臓バクバクの中、自分こそが冷静にならんとアカン!と思い、冷静に状況を把握するために、まずはコクピットチェックを行いました。マスタースイッチはオンになっている、エンジンオイル温度はまだ正常で燃料もまだちゃんとあることを確認し、念のためキャブレター(過給器)ヒートをオンにしました。寒くて湿度がある時はこのキャブレター内にアイスができます。これが凍ってしまうとエンジンに空気と燃料の混合気がいかなくなってエンジンは止まってしまいます。それを防ぐためにエンジンで温められた空気をキャブレターに流し込みました。

それをしたからといってもちろん前方の視界は回復しません。でもコックピットチェックを行ったことで少しづつ冷静になってきました。エンジンは大丈夫。燃料もまだある。ピッツメドウ空港の管制区域を離れたけど前方やその周りに飛行機はいませんでした。いまモニターしている周波数にも他の飛行機の存在は確認できませんでしたが、念のため自分が飛んでいる場所や意図をモニターしている周波数で発信しました。反応はなし。視界が悪くてこのまま飛んでいても他の飛行機にぶつかることはないなと思いましたが、逆に少し孤独感が生まれました。

どうすればいい!と思いながらも更に冷静に考えました。上昇途中で視界が悪くなり雪が降ってきた、つまり自分の頭上には大きな雲があると。おそらく寒冷前線でできた雪を発生させている雲があってその中にいま自分は入っていっている。予定高度を下げてその雲を避け、下降することで速度を上げてその風圧で雪を飛ばせないかと考えました。

もう一度キャブレターヒートがオンになっていることを確認して下降していきました。速度を徐々に上げていきました。もう神頼みで「お願い!たのむ!」という感じで下降を続けました。すると視界が徐々に開けてきて前方が見えやすくなってきました!よし!思いが通じたのか視界を徐々に遮ろうとしていた雪もどんどんなくなっていき、すっかり前が見えるようになりました。

友達も僕もホッと一安心。そのまま最低高度を維持しながらバンクーバーのダウンタウンの上空へ向かいました。さっきまでの危機的な状況が嘘のように綺麗なバンクーバーの夜景を観ることができました。友達も息を呑むようにその夜景に魅せられていました。

夜のバンクーバー
少しダウンタウンの上空をぐるぐると飛んで夜の遊覧飛行を楽しんだ後は南に位置するバンクーバー国際空港へ。旅客機の上を飛ぶと少し優越感に浸れます。その後も問題なくベースの空港へ向かい、特にトラフィックもなくスムーズに着陸できました。友達は着陸と同時に拍手をして「ありがとう!留学の最後に最高の思い出ができたわ!」と言ってくれました。天国と地獄を味わったフライトでしたが、結果オーライです。本当に良かった。

思うと非常に怖いフライトでしたが、あの時に冷静に判断でき行動したことが大事に至らずに済んだと思っています。パイロットなら誰でもそうすると思いますが、パニックになることだって十分あります。以外にも僕はあの時頭のなかで色んなことを考えることができました。人によってはこういう恐怖体験で二度と飛びたくないと思うかもしれませんが、僕の場合は大きな自信となりました。

でも各ポイントに行くおおよその時間からその時間帯に前線は大体どこにあるかなど天気情報や天気図をしっかりと解析しないといけないなと感じました。と言いながらもその後も同じような境遇に遭ったことがありますけども。。それはまた別の[思い出のフライト]でお話したいと思います。お楽しみに!


ありがとうございます。


2013年10月28日月曜日

[思い出のフライト2] 絶体絶命、ホワイトアウト!?恐怖のナイトフライト 前編

ソロフライトを終えてその後も訓練や勉強に励み、色々と困難なことも沢山ありましたが訓練をはじめて約4ヶ月で自家用飛行機の免許を取得することができました。同じ志を持つ仲間の存在や春先からバンクーバーの雨季の前という良い天候が続く時期に集中して訓練ができたのが功を奏したと思います。

自家用飛行機の免許が取れれば後は自分次第でどこでも好きなところへ行くことができます。もちろん自分が持っている力、判断力、自分ができる範囲でフライトを立て無事に帰ってこなければなりません。今回お話するフライトはそういう基本的な事をつくづく思い知らされたフライトでした。

前の記事でバンクーバーのとある英語学校に1ヶ月通っていたと言いましたが、そこで沢山の友達に出会いました。僕が免許をとってしばらくした後、その友達の一人がもうすぐ日本に帰るというので帰る前に是非とも飛行機に乗ってみたいという彼の願いを叶えるべく、その友達の友達ものせて3人でナイトフライトに出かけました。

ナイトフライト(夜間飛行)を行うには夜間飛行証明というのが必要で自家用飛行機の免許取得後すぐにそれを取り、ホストファザーの誕生日にナイトフライトをプレゼントするなどナイトフライトをするにあたって資格も知識も特に問題なくありました。

日本に帰国する友達を乗せた時のナイトフライトのルートは下のような感じです。

地図の下にあるベース空港のバウンダリーベイ空港から北東に向かいピッツメドウ空港へ。その後は西に向かい、バンクーバーのダウンタウンの上空へ。遊覧飛行を楽しんだ後、南下してバンクーバー国際空港の上を飛び、バウンダリーベイ空港に戻るといったルートです。

実はフライト前の天候はあまり良くありませんでした。天候次第では諦めようと思っていましたがフライトの出発時間が近づくにつれて回復の兆しが見え始めたことと、日本に帰国する友達に最高のナイトビューをみせて感動させたいという思いでフライトを決行することにしました。

途中ピッツメドウ空港に寄るのは少し自分の訓練も含め、またただバンクーバーの上空を飛んでもあまり面白みがないかとおもって、ピッツメドウ空港でタッチ・アンド・ゴー(着陸してすぐに離陸する)をすることにしました。後になって思えばこのピッツメドウ空港に寄ったことがあの絶体絶命の危機に遭遇することになったのでした。

フライト前のウォークアラウンド(機内外チェック)を済ませた僕は友達を乗せて出発しました。いまでも覚えていますが、その時の友達の興奮はかなりすごかった。エンジンが点くやいなや「おーやばい!エンジン点いたで!まじでまじでこれから飛ぶで!」と無線が聞こえないくらいはしゃいでいたのでもちろん注意しましたけども、初めての小型飛行機でしかもナイトフライト。はしゃいでも仕方ないと思いました。

何回か経験済みの僕でもナイトフライトはやっぱり興奮します。特に滑走路灯が綺麗なんですよ。滑走路まで向かう途中徐々にテンションが上がっていき、滑走路に入ると滑走路の幅を示す整然とした光がとても綺麗です。その光が離陸時に後方に走るように進んで行くの見るとなんとも言えない高揚した気持ちになります。

離陸した後も友達の興奮はさらに上がっていきます。「うおー俺たち飛んでるでー!」といった感じでピッツメドウ空港に行くまで景色を観たり、暗いところで光る計器をみていろんなことを質問してきてずっと楽しそうにしてました。彼らを飛行機に乗せてあげることができて心からよかったとそう思いました。

そんな雰囲気の中徐々にピッツメドウ空港に近づいてきました。ATIS(エーティス:空港情報)を確認。風は西から吹いていました。管制にタッチ・アンド・ゴーの意思を伝え、管制区域に進入。無事にタッチ・アンド・ゴーを済ませ、そのまま西の方角に進みながら予定高度まで上昇していきました。

恐怖の兆しが見えたのはその上昇していく途中でのことでした。段々と前方の視界が悪くなってきました。前方がモヤモヤとしてきて街の明かりが見えづらくなってきました。なんかいやな感じと思っていたら、それがどんどん濃くなってきました。横の窓から下をみても同じです。景色が見えなくなってきました。さっきまであんなにはしゃいていた友達が急に静かになって「これってなんかやばいんちゃうん?」と聞いてきました。

僕は咄嗟に「大丈夫!大丈夫!」と返しました。ここで僕が「いや、これやばいどころちゃうで...」と言ったらさっきまで興奮していた友達が今度はパニックになると思ったからです。友達の不安を少しでも抑えながらそれでもまだそのまま上昇していきました。

さてさて、この後僕らの運命は!?明日またこの続きを書きたいと思います。
お楽しみに!

ありがとうございます。

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2013年10月25日金曜日

[思い出のフライト1の続き] 興奮しまくった初めてのソロフライト (My first solo flight) 後編

前編はこちらをどうぞ!
昔:ソロフライトを成功させたBC州デルタ市にある
バウンダリーベイ空港 (CZBB)
今:2010年のバンクーバーオリンピックのお陰で
こんなに見違えるように綺麗な空港になりました!
航空身体検査を無事にパスして一つ飛行機乗りとして近づいた僕は、次なる試験に向かいました。それは無線通信士の試験です。英語ができない当時の僕にとってはこれもなかなか難関でした。航空無線は基本は英語を使って通信しますが通常会話の英語ではありません。英単語などを並べてより簡潔に相手に伝えます。

例えば離陸前に管制官に離陸の許可をもらいますが、もし飛行機の名前がCGQPという名前であれば、
”〇〇Tower, this is CGQP. I am waiting for take-off in front of runway 24. Please give me a clearance for take-off.”「〇〇管制、こちらはCGQP。今ランウェイ24の前で離陸のため待機しています。離陸の許可をください。」というのを「〇〇Tower, CGQP ready for take-off runway 24」という簡潔したもので離陸の許可をもらいます。

またフェネティックコードといって無線通話などにおいて重要な文字・数字の組み合わせを正確に伝達するためのもので、例えばTであれば「ティー」と言わずに「タンゴ」といいます。ティーだとP「ピー」やB「ビー」に聞こえる場合があるので誤聞を防ぐためにこのフェネティックコードを使用します。Pはちなみに「パパ」、Bは「ブラボー」といいいます。上記の飛行機の名前だと「チャーリー、ゴルフ、クベック(ケベック)、パパ」となります。9も「ナイン」と言わずに「ナイナー」と言ったりします。無線のライセンスを持っていなくても例えば旅行会社の人ならこれを知っている人は沢山いらっしゃいますね。その他SOS、Maydayコールなど勉強することが山ほどありました。

そしてもう一つの試験がPSTARです。Pre-Solo Test of Air Regulationsの略ですが主に航空法規についての試験で、空のルールをまず知っていないと一人では飛べないよということで、このテストは50問あって90%以上正解がないとパスできません。これらをパスして初めて一人で飛べる資格を得ます。

また身体検査、筆記試験の他にもちろん飛行機操縦のチェックもあります。訓練の初めのころはインストラクターとエアエクササイズを集中して訓練しますが、ソロの前になるとサーキットトレーニングといって、空港の周りをぐるぐる飛んで着陸しては離陸してまた着陸しては離陸といった離着陸の訓練を繰り返します。一人で飛んで戻ってくるにはこの離着陸なしではありえませんからね。これも最初はインストラクターと共に操縦桿を握ってその技量を自分の物にしていき次第に一人でやれるようになっていきます。操縦しながら管制とやり取りして自分の居場所を伝え自分が何番目に着陸できるかを把握して、着陸前に全ての機器などが正常に作動しているかコックピット内でチェックをします。初めのころはこのいろんな作業で頭が混乱したのを覚えています。

様々な試験をパスして、このサーキット訓練を何日か繰り返していたある日、とうとう一人で飛ぶ日がやって来ました。インストラクターとまずは一緒に飛んで3回自分ひとりだけで離着陸が問題なくできれば、一回降りて駐機場でインストラクターを降ろし、また離陸に向けて今度は一人だけで出発するというのがソロフライト前のルールでした。

僕は問題なく3回自分だけの力で離着陸をすることに成功し、インストラクターを降ろし一人だけでまた滑走路に向かいました。その日の天候はあまり良いとはいえませんでしたが、風はそんなにきつい日ではありませんでした。右隣にいつも座っていたインストラクターはいません。僕は誰もいない席を手で触れその空間を手でぐるぐる回して、「誰もおらん!俺だけやで! マジで!やばいやばい!」とすでに興奮してました。
サーキットパターン例
滑走路はランウェイ12。南東から風が穏やかに吹いていました。横風はほとんどなかったと思います。管制に離陸の許可をもらって風に向かって飛ぶ鳥と同じく、その穏やかな風に向かって一人で飛び立ちました(Upwind)。空港の標高から500フィート(約152m)辺りでいつも目印としている山頂を目視して上昇しながら左方向へ90度旋回します(Crosswind)。更に500フィート上がる前にまた左に90度旋回してサーキットの高度に到達(Downwind)。左下を見るとさっき自分がいた滑走路が見えます。滑走路に並行して今度は追い風の中を飛行するためあっという間に次の旋回ポイントに近づきます。

でもこのDownwindを飛行中に管制に連絡して自分の居場所と着陸の意思を伝え、着陸のチェック項目を素早く行わなければなりません。チェックし終わった後はすぐさま着陸のため飛行機を操作をします。スロットルを絞りトリムタブを3回下に回し左に旋回。管制にもう一度コンタクト。速度計を確認し操縦桿を引き機首を少し上げて着陸速度に合わせていきます。この時はフラップ(高揚力装置)は使わずノーマルで降りていきました。

左前に見える滑走路へまっすぐに入れるようまた左に下降旋回し速度を確認しながらファイナルレグに入っていきます。ファイナルレグでもう一度管制にコンタクトして着陸の許可をもらいます。許可がもらえなければそのまま着陸せずにゴーアラウンド。もう一度サーキットを回って着陸しなければなりません。許可を無事にもらえたら後は着陸するのみです。12と滑走路に大きく描かれた数字の少し先を着陸ポイント(接点)としました。速度を維持しながら機体を操縦桿とラダーペダルで水平に保ちどんどん降りていきます。着陸ポイントまでであと少し。機首を上げてフレアというのをかけます。失速に近いくらいまで機首を上げてふわりと着陸。見事着陸成功!

仲間はもちろんのことホストファミリーもわざわざ僕のファーストソロフライトを見届けるため空港まで来てくれていました。着陸した瞬間僕は飛行機の窓を開けて彼らに向かって叫んでやりました。「やったぞー!着陸したぞー!I did it!」って。それでそのまま滑走路を走ってスロットルを全開にして再びカナダの空へ飛び立っていきました。もう一度サーキットを行うためです。今度は上空で窓を開けて窓から顔を半分だして下に向かって叫びました。「最高!俺一人で飛んでるでー!よっしゃー!」って。これ読んだ人はなにやってんの!危ないしそんなやったらあかんやろ!と突っ込まれそうですが、興奮してやっちゃいました。。(まぁそれくらい余裕があるほど上達したのでした。低い高度なので窓を開けても全然問題ありません。万が一機体が制御不能となった場合、ドアを開けたりして機体を制御するという荒技があるくらいです。実際飛行中左のドアを開けるとヨー(横向き)の動きが生まれます。)

さらにもう一回計3回程サーキットをやって無事に駐機場まで戻ってきました。エンジンをとめて飛行機を駐機し、皆が待ってくれているターミナル横のピクニックテーブルへ。皆バケツいっぱいの水やホースの水を思いっきり僕に向かって掛け初ソロフライトの成功を祝ってくれました。カナダではソロフライトを無事に終えたパイロットに水をかけるというのが儀式になっています。僕はそのことを知っていたのでなんと実は水着で空を飛んだのでした。もちろん上半身はTシャツを着てましたよ。

びしょびしょに濡れた体でホストマザーに「ハグ!ハグ!」といって近寄りましたが案の定逃げられました。。皆にありがとう!と御礼を言って拍手の中びしょ濡れで無事に初ソロフライトを終えたのでした。忘れられないフライト、忘れられない最高の一日となりました。

また長々と書いてしまいましたが、このような心に残る「思い出のフライト」をまた書きたいと思います!それではまた!

ありがとうございます。

次回は、4. [思い出のフライト2] 絶体絶命、ホワイトアウト!?恐怖のナイトフライト 前編です!

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2013年10月24日木曜日

[思い出のフライト1] 興奮しまくった初めてのソロフライト (My first solo flight) 前編

「初心忘れるべからず」
初めての時の気持ちを忘れずに昨日より今日少しでも進歩できるよう過去の自分を振り返ることは決して悪いことではないと思います。あの頃できなかった事が今はできている。できないと思っていたことはきっといつかできるようになる!今の自分を鼓舞させるためにも今の自分にとってとても重要な事柄である飛行機操縦について少しずつこのブログで自らの飛行体験を時々書いていこうと思います。

今日は初めて一人で飛んだ時の事(前編)を書いてみようと思います。

日本の大学で航空工学を学んだ僕は飛行機操縦にとても興味があり研究職をしていた当時、実験データーを取得中というか仕事中にインターネットでバンクーバーにあるフライトスクールのウェブサイトをみてたんですね…それで、その時になんかうわっと思い立ってその年の年末に1週間の航空留学を体験することにしました。

インストラクターと共にバンクーバーの空を飛び、失速、スピンといったエアエクササイズも経験し、ウィスラーの雪山やその狭間にある美しい青色の湖を空から観てその全てに一瞬で魅せられてしまいました。

その当時英語なんて全くできませんでしたが、それらの感動が冷めやらぬ内にその数カ月後に会社を辞め自家用飛行機の免許取得のためバンクーバーに行く決意をしました。学校ではもちろん英語で授業を受けますのでバンクーバーに着いてからはまずは市内の英語学校に入学し約1ヶ月集中して英語を勉強し(もちろんそんな短期間で上達なんてしませんでしたがf^_^;)その後すぐフライトスクールに入校しました。

幸い僕と同じく飛行機免許の取得を目指し来ていた日本人が沢山いてその仲間と切磋琢磨して大変充実した生活を送ることができました。誰が一番最初にソロで飛べるかなんて競い合いながら楽しくて刺激一杯で本当に仲間には助けられました。ありがたかったです。このソロで飛ぶ、一人で飛ぶというのが非常に大変で、いくつかの試験をパスしないといけません。

僕にはこれが21に見えますけど
正常ならば74だそうです。
その一つが航空身体検査。メディカルライセンスは自家用飛行機免許取得時に必要となりますが、訓練開始と同時に早めに受けておく必要があります。というのはこれによって早い段階で自分の体は飛行機乗りとして適しているかを判断できるわけです。早い段階でこの航空身体検査にパスできないと分かれば訓練費やその時間を費やさずにすむわけです。健康な両親のお陰で僕もありがたく健康に育ちました。視力は今でも1.5くらいあると思います。そんな僕でも見事に目で引っ掛かってしまいました。色盲検査です。

有名なあの石原式の色盲検査、数字を読むあれが幾つか分からないものがあります。。日常生活では全然問題ないのですが、小さいころこのテストを受けた時はあぁ僕は色盲なんだと少しショックを受けたのを覚えています。そのことをすっかり忘れていた僕はこの検査表が出てきたときは「あっやばい!」と本当にドキドキしました。検査医に聞かれてもやっぱり数字が分からない。段々先生の顔が渋くなってこれはいかんねと。あーこれで自分の夢も終わりだぁ。。。と非常に愕然としたことをいまでも鮮明に覚えています。でもその先生はこの石原式がある程度は有効であるけど全員が全員これで判断できるものではないことを知っていました。そこでその先生はここではできないけども別のところで別のテストを受けて来なさいと仰ってくれました。それがD-15という検査でした。
近い色を左から順番に並べていく色盲検査D-15
D-15は一番左にある色以外はケースから出すことができてバラバラにされた状態で渡されます。その固定された一番左の色に近い色を探してその横に置き、またその色に近いものを横にどんどん置いていくという色盲の検査です。色盲でなければ色が綺麗に変化していくように並べることができるはず。これがパスしないと夢は絶たれる。めちゃくちゃ緊張しましたね。やってると目がチカチカして本当にこれで合ってるかわからなくなってくるんですよ。それでも色を見て一つ一つ選んでいき夢に向かって「たのむ!!」という感じで置いていきました。

全部並べ終わって、もう一度よくみて何回も何回も見直しました。なんせ自分の大事な夢がこれに掛かっているんですから。これがパスできなければもう終わりですよ。ドキドキしながら先生を呼びました。「大丈夫?この並びでOK?」みたいに聞かれて「大丈夫です。。」と答えると、先生が「これをひっくり返すと全てのピースの裏に数字が書いてあってそれが1から15まで順番通り並んでいたら合格。」と言われました?これ書いていてもその時のドキドキ感が蘇ってきます。それで先生がバーンとひっくり返しました。もう目を覆いたくなるような気分でした。

結果は、見事綺麗に1から15まで並んでいました!

自分でも信じられないくらい見事に並んでました。それを見た時は本当にうれしかった。自分は色盲ではなかったこと、これで空を飛ぶことができるという一つの資格を得たこと。本当にうれしかったですね。実は僕は今事業用操縦士免許も持っていますが、事業用だと航空身体検査が第一種となり免許を維持していくには毎年身体検査を受けてパスしなければなりません。身体検査を受けるたびこの石原式で色盲検査を受けますが、危うく感じた時はこのD-15をパスしたことを告げるようにしています。

いつも色盲の検査を受ける度にこのD-15の検査を思い出します。D-15があってよかった。これがなく石原式だけだったら僕は色盲と判断され念願のパイロットのライセンスを取得できなかったのですから。

長々と僕の色盲の話を書いてしまいましたが、次回は他の試験の話、そしてソロフライトの感動をお伝えできればと思います!お楽しみに~!

後編はこちら、3. [思い出のフライト1の続き] 興奮しまくった初めてのソロフライト (My first solo flight) 後編です!

ありがとうございます。

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2013年10月23日水曜日

ワイン産業で潤うカナダオンタリオ州 ナイアガラ・オン・ザ・レイク (Niagara-on-the-lake) ワイナリーツアー④ おすすめのワイナリー編


ナイアガラ・オン・ザ・レイクの街を散策した後はワイナリーツアーへ。
まずはジャクソン・トリッグスです。1993年にアラン・ジャクソンとドナルド・トリッグスが共同で始め彼らの名前が会社の名前となっています。
どこもそうですがここもモダンな建物で非常に綺麗な印象を受けます。 
店内はこんな感じ。白ワインを頂きました。
口に含んだだけですが非常にスッキリした味わいで美味しかったです。 
駐車場近くにあったぶどう畑。
いつも思っていたのですが、ワインになるブドウってどんな味がするのか興味があって
帰り間際に一粒拝借させて頂きました。。
渋いイメージがあったのですがすごく甘くて美味しいぶどうでした。

つづいてストラタスです。
 ここはナイアガラカレッジのビクトリアさんがナイアガラ・オン・ザ・レイクで
高めのワインならこのストラタスと言っていたところです。大体1本40ドルくらいで、
試飲はどこも1ドルくらいですがここは4倍の1杯4ドルでしたね。

ストラタスは2013年オンタリオ州副知事賞を受賞されました。

 3番目はツアー客にも人気のあるピリテリです。 
お店の外観は少し古い感じがしますが、中は非常に綺麗になっています。 
ピリテリも様々な賞を受賞しています。
ピリテリは1999年にメルローアイスワインの作成に最初に成功したところで
その後2004年に世界初のシラーズアイスワインを作成
2007年に世界初のジョヴェーゼのアイスワインを作成
その翌年の2008年にはこれまた世界初のスパークリングカベルネアイスワインを作った
アイスワインのパイオニアです。
世界最大のアイスワインプロデューサーで生産の半分がアイスワインとなっているようです。

そして最後はサウスブルークです。
ここはナイアガラ・オン・ザ・レイクでも数少ない有機ワインを作っているところです。 

お店前のランドスケープが非常に綺麗です。 


ここの試飲は10ドルですが4種類のワインを選ぶことができます。
正直有機ワインの良さを僕の舌では感じることができませんでしたが、
時には放牧されている羊を敷地内でみれるようで
他とは違った雰囲気を楽しむことができると思います。

4つに分けてお送りしたワイナリーツアーですが、また機会あれば更なる詳細や別のワイナリーなど紹介できればと思います!

ありがとうございます。

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2013年10月22日火曜日

ワイン産業で潤うカナダオンタリオ州 ナイアガラ・オン・ザ・レイク(Niagara-on-the-lake) ワイナリーツアー③ ナイアガラ・オン・ザ・レイク街編

イニシキリンで美味しい新作のスパークリングワインを味わった後、
お腹が空いてきたのでナイアガラ・オン・ザ・レイクの街に行きました。
街のランドマークである時計台です。
第一次世界大戦で戦死した地元の人たちの慰霊碑として建てられたものだそうです。
エンジェル・イン。
ここがオンタリオ州で一番古いホテルで1789年に建造され1812年の戦争のあと1816年にまた少し建てなおされたようです。 
1階がレストランで店内はこんな感じ。
イングリッシュスタイルのパブでお店自体がアンティークという感じです。
ここでももちろんイニシキリンやジャクソントリッグスといったナイアガラ産のワインを楽しむことができます。
2階は客室になっていて5部屋あるそうです。 
このレストランで有名なのがこのフィッシュ・アンド・チップス。
フィッシュの下にはゆでたグリーンピースとキャロットが隠れています。
外カリ中ふわでとっても美味しかったです。
さて、お腹一杯になった後は少し街の散策へ。
このグレーブスは自家製ジャムで有名なお店。
ジャムももちろんそうですがおすすめはたった2ドルで買えるメープルシロップでコーティングしたポップコーンです!
それを食べながら街の散策などいかがでしょうか。 
これは空の瓶じゃないですよ。こうやって無造作において売っています。
カナダらしいというか男前というかこの陳列の方法はインパクトありますね。

写真はないですが、その後は洋服店や帽子屋さん、クリスマスツリー飾りで有名なお店などにいきました。この小さな街に様々なお店が寄り添うように建っていて非常にかわいらしい街です。さて、このシリーズの最後はナイアガラ・オン・ザ・レイクのおすすめのワイナリー(ジャクソン・トリッグス、ストラタス、ピリテリ、サウス・ブルーク)をご紹介したいと思います!次回、ワイン産業で潤うカナダオンタリオ州 ナイアガラ・オン・ザ・レイク (Niagara-on-the-lake) ワイナリーツアー④ おすすめのワイナリー編です!

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2013年10月21日月曜日

【カナダでミニバラの育て方2】スパイダーマイツ!!

ところどころ白い点が見える
毎日観察していると小さな変化に気が付きます。こないだ葉っぱに小さな白い点がいくつかあることに気がつきました。よく見るとそれが葉の上を動きまわっています。近くには蜘蛛の巣のようなものがあって調べてみるとスパイダーマイツ(Spider Mite)やRed Spider(レッドスパイダー)と呼ばれる「ハダニ」でした。
葉の裏にも隠れていないかチェック。この角度から見ると成長してると実感
スパイダーマイツは水に弱いようで流水で葉っぱを洗えば良いとのこと。早速やってみてしばらくしてまた観てみるとまだいます。今度はスプレーのノズルを少しゆるくして「ビシャー!」っとかける感じでやってみました。激しい雨に打たれるのも自然状態に近くて良いのかなとも思いながら。
少しの間このままで放置してみた
葉っぱに水がずっと付いているのは良くないのでしばらく様子を見て葉に付いている水をすべて拭き取りました。まだそんなに葉っぱの数は多くないので白い点がある葉っぱは特に丁寧に拭き取っていきました。
イキイキとしている葉っぱたち
まだそれでも油断はできません。一晩明けて観ても何匹か確認できました。でも思ったのが彼らもこのミニローズのお陰で生きることができるということ。実は小さな虫でも殺してはいけないと思っている僕はなんとか今の状態を維持しながらミニローズとスパイダーマイツが共存できる道はないものかと考えました。様々な農薬を使ってみたところでもしかしたら絶滅させることはできないかもしれなし、時には雨が降ってくるように自然に近い状態で育ててみてそれによってスパイダーマイツの増殖を抑制してみようかと考えました。「いやいやそんなことやってたらあんたのミニローズが死んじゃうよ」と声が聞こえてきそうです。どなたか良い方法があれば教えて下さいませ。

こないだ友人から面白い話を聞きました。あるTV番組で3人がそれぞれ違う種類の言葉をかけてかいわれ大根を育てるみるというもので、栽培環境は同じですが一人はいつも優しい言葉、「きれいだよ」とか「ありがとう」、「美しいね」といった言葉をかけて、もう一人は「バカヤロー!」とか「お前なんて生まれてこなければよかったんだ!」とかそういった類の言葉をかける。それで残りの1人が栽培するかいわれ大根には一切声を掛けない。無視をするといった実験でした。

それぞれどういった違いが出たと思います?優しい言葉を掛けられたかいわれ大根は非常にすくすくと本当に優しく育ちました。無視をされたかいわれ大根はあまり成長が良くなかった。そして驚くべきことに罵声を浴びて育ったかいわれ大根はその罵声に反発するように強くたくましく育ったということでした。

それを聞いて僕のミニローズには優しい言葉をかけつつも「スパイダーマイツに負けへんように強く育たなあかんで!」と時折力強い言葉をかけるようにしています。本当かどうかはわかりませんが、言霊という言葉があるように非科学的ですがきっとそういう効果はあるのではと思っています。子供を育てるのとまったく同じなのことかもしれません。いつも優しく接して時には力強く応援する。子育てについてはまた別の機会に書くつもりですが、お花の成長も子供の成長もこれからが本当に楽しみです!またお花の成長記録、レポートしたいと思います。


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2013年10月19日土曜日

ワイン産業で潤うカナダオンタリオ州 ナイアガラ・オン・ザ・レイク(Niagara-on-the-lake) ワイナリーツアー② イニシキリン (Innisikilin)編

昨日ワイナリーツアーの続きです。百聞は一見にしかず、写真いっぱいでお送りします!
ナイアガラカレッジからイニシキリンに行く道中素晴らしい紅葉が観れました。
1974年に創設されたイニシキリン。ファーストヴィンテージは1977年だそうです。
数年前に建物を改築してとっても奇麗になりました。
早速建物の中に入り通されたのが、建物の裏にある地下室。
頑丈そうな扉の向こうには一体何が?!
とっても雰囲気がある地下のワイン貯蔵庫でした。
ここでワインペアリングランチを頂くことができます。
今回は残念ながら食べませんでしたけども。。








地下貯蔵庫を堪能した後はテイスティングです。
薦められたのがこの9月に出たばかりの新作、スパークリングアイスワイン。
これが最高に美味しかった!お値段1本119ドル。
今年のクリスマスプレゼントに最高ですねきっと。




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