ラベル パイロット の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル パイロット の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2014年2月11日火曜日

【思い出のフライト 7の続き】 一度失った自信を取り戻す方法 (事業用操縦士免許フライトテスト(実技試験)) 後編

ハミルトン空港
トロント・ピアソン国際空港がクローズになった場合、この空港が代替空港一つとなります。
9.11同時多発テロの時、ニューヨークに降りれない飛行機がこの空港にも着陸しました。
さて昨日の記事、【思い出のフライト 7】 一度失った自信を取り戻す方法 (事業用操縦士免許フ ライトテスト(実技試験)) 前編の続きです。いかにして一度失った自信を取り戻すことができたのか。

フライトテストで一番失敗(フェイル)する確率が高いのが「不時着 (Forced Approach)」です。うまく風を読むことができず追い風方向にアプローチすると減点ですし、ましてそれでうまくランディングできそうもないとなれば更に減点です。
不時着のプランニングの参考図
これにはやはり少し緊張しました。キャブヒートをONにしインストラクターが不意にスロットルを閉じエンジン故障の状況を模擬します。(これは試験官がやる場合が多いと思います。)一番長く飛べる滑空速度に近づけながら、不時着するところを見つけねばなりません。これが結構難しいのです。あれにしようか、いやこれにしようかと迷ってるとあっという間に高度が下がってえらいことになります。僕のフライトテスト時では左手前方にきれいな薄緑の縦長のフィールドが左を見た瞬間に目に入ってきました。これだと思い試験官にあそこに降りることを告げると、「ビューティフル。 いいねぇ、僕もあそこを選ぶよ。」と言ってくれました。

自家用飛行機の免許取得時は8の字を描きながら降りていく方法を習いました。この学校ではサーキットを飛ぶように四角く90度にシンプルに計画し下りていく方法を学び、旋回する場所を選定しその地点での高度によって、不時着地に向かって引き続き旋回するか、さらに延長して少し遠回りしてアプローチしていくかを判断します。その間、エンジン故障の原因を探り、乗客へ緊急手順の説明、無線で不時着することを告げます(無線で告げるふりをします。訓練、試験時には発信しません。)ヒヤヒヤもんでしたが、美しくスムーズにできたと思いました。

スピン(きりもみ)
事業用操縦士のフライトテストでは「スピン」をしなければなりませんが、僕はプライベートの訓練時から常々疑問に思っていたことがあります。それは、ストール(失速)訓練など1度や2度は飛行機をわざと失速させて、これが失速だということをわからせるというのはわかりますが、訓練を重ねてきて、どうしてフライトテストの時でさえ故意に失速させるまでやらせるんだろうという疑問です。

ある人はフライトテストはある種の演技なんだといってました。でもこのチーフインストラクターは「実際にストールホーン(失速警報)を聞いたらどうする?」と聞いてきました。僕は「まず機首を下げます」と答えると、「そうだよ。それが本当のストール対処方法だ。」と微笑みながら言い、ストール警報が聞こえた時点で機首下げ、パワーを上げクルーズに戻るというまさに僕が理想としていたもので終了しました。スピンもフルスピンに入る前に回復操作を行い、「アクロバットじゃないんだから」とまた笑って言う試験官。それには僕も笑顔で返しました。

また事業用操縦士のフライトテストには「180度パワーオフランディング」というものがあります。タッチダウンポイントを決め、そこの真横に来たときにスロットルを全閉、ヘヤピンカーブを曲がるように左に旋回、降下し宣言したポイントに着陸するという難易度の高いランディングをやらなければなりません。これこそがこのフライトテストの最後の項目でした。

ランウェイは06、風はほとんど無風で風向090度、2ノットでした。風も応援してくれてます。サーキットのダウンウィンドレグに入りタッチダウンポイントを決める前、不意に目頭が熱くなりました。いままで自信を失いながらも自分なりに精一杯ベストを尽くしてがんばってきた。この180度パワーオフランディングの後にその結果がでる。これをうまくやって自分は絶対合格する。きっと大丈夫。そう思うとなぜか涙がこぼれそうになりました。

でもそれをグッとこらえて旋回を開始。速度確認。フラップ10。速度69ノットを維持し滑るように流れるように綺麗な弧線を描きながらタッチダウンポイントに向かって降下。フラップ25度にセット、再び速度確認、タッチダウンポイントが近づいてくる。
ねらい点に届く前、タッチダウンポイントに着陸できることが約束された時、フラップ40。フレアをかけ意図したタッチダウンポイントに柔らかに着陸しました。

その後試験官であるチーフインストラクターが操縦と無線を受け持ちタクシーウェイに行き、無線で管制官にエプロン(駐機場)までの許可をもらうと試験官が、

2014年2月10日月曜日

【思い出のフライト 7】 一度失った自信を取り戻す方法 (事業用操縦士免許フライトテスト(実技試験)) 前編

事業用操縦士のフライトテスト時に使用したパイパー社の小型機、チェロキー
僕がカナダに来た目的は飛行機の免許を取ることでした。その目的、夢を見事叶えることができましたが、事業用操縦士免許(コマーシャル・パイロット・ライセンス)を取得する過程で大きく自信をなくしたときがありました。

自信をなくすということは大小かかわらず誰にでもあることだと思います。夢を追いかける過程で自信を失ったとき、その夢を諦めるか、それとも自信を取り戻してそれを続けるか。

僕は諦めず後者を取ったわけですが、1度失った自信を取り戻すために必要なこととは僕にとって何であったかということを書こうかと思います。


トロントにきてから永住権が取れるまでボランティアをしながら事業用操縦士免許取得に向けてがんばってきました。あるフライトスクールのスケールの大きさに魅せられ入校しましたが、不慣れな場所とアンフレンドリーな対応に徐々に自分の居場所がわからなくなり、自信も徐々になくなっていきました。バンクーバーにいた時、飛ぶということが楽しくて仕方がなかったあの頃がうそのように、飛ぶことがいつのまにか苦痛になっていました。

正直自分を責めましたが、ボランティアで知り合ったあるフライトインストラクターの勧めでトロントから1時間かかる彼が在籍している学校(ハミルトン空港)へ移ることにしました。でも永住権がおりる少し前にオープンワークパーミットが取れ仕事を始め、なんでも中途半端にできない僕は仕事も一生懸命するうちに次第に責任ある仕事に就き、忙しさに感けてなかなか思うようにトレーニングは進みませんでした。
ハミルトン空港の滑走路はこんな感じ。横風対応の滑走路があります。

2014年1月27日月曜日

毎年ドキドキする航空身体検査、その結果は?

飛行機の免許を維持するには航空身体検査というものをパスしないといけません。自家用操縦士免許であれば40歳未満だと5年に1回、40歳以上になると2年に1回航空身体検査を受けて合格しないと空を飛ぶことができません。

僕が保持している事業用操縦士免許の場合、40歳未満だと年1回、40歳以上になると半年に1回航空身体検査を受け、また2年に一回はECG (Electrocardiograms:心電図検査)を受けて合格する必要があります。

まず身長とか体重、視力検査(近視、遠視なども含む)、色盲検査(やっぱり石原式は苦手。。。)、目の屈折度の検査、尿検査そして今年は心電図検査を受ける年だったので心電図検査を行って、ドクターによる診察です。

昨年から体の状態は殆ど同じであるとドクターに伝え、約2週間前にしたインドアサッカーの試合で左ふくらはぎが肉離れになったことを伝えると、「ドクターに見せて超音波検査したか?」と聞かれましたが、「ただすぐにアイシングしただけで病院には行ってません」と言うと、足首を動かしてと言われ、痛くない?と聞かれて痛くないと伝えると、「大丈夫だね。」言われ少しホッとしました。

たかが肉離れですが飛行機の横向き(Yaw)の動きをさせるためのラダーペダルを一生強く踏めないと判断されるとそこでアウトです。ちゃんと病院に行っておけば良かったと思いました。少しヒヤッとしましたね。

目に光を当てて網膜を検査したり、目が見える範囲を検査されたり、耳の中を見られ、聴覚検査、血圧、膝蓋腱(しつがいけん)、アキレス腱、腕の反射をみて脊髄や末梢神経に障害がないかどうかみられます。

上半身に聴診器を当てられて心臓の音と肺の音を聞かれている時、心臓の辺りで聴診器を持つ手が止まりドクターが少し慎重に音を聞いている。ん、なにか雑音とかあるのかなとまた少しドキドキしましたが、「週一くらいでサッカーやってる?」と聞かれ「はい」というと「少し低めで60。アスリートに近いね。」なんて言われました。どうやら心拍数を数えていたみたいで雑音をみつけたわけではありませんでした。また少しホッとしました。。

仰向けになって寝て、内臓特にお腹の下辺りになにか痛みがないか触診されました。そして横になり、診察のハイライトは直腸検査。最初された時はびっくりしましたが、直腸がんなどなにかしこりのようなものがないかどうか直接調べられます。今回も体の隅から隅まで調べられました。

それで結果はというと、

2013年11月20日水曜日

[思い出のフライト 6] 一人で夜のクロスカントリー(夜間野外飛行)。空から自分で滑走路灯を点灯し、飛行速度370km/h!?で飛んだ夜

今日はずっと前に一人で夜のクロスカントリーに行った時のことを書きたいと思います。その時のルートはベース空港のバトンビル空港からバリー・オリリア空港まで下記のように殆ど一直線でした。途中にある大きな湖はシムコ湖。フレミングの左手の法則のような形をしてます。これを少し避けるようなルートでした。

その日の天気は良好でしたがあいにく風が強く、その当時の学校の規定で向かい風25ノット(13 m/s)以上だと飛べないことになっていました。しかしながら暗くなるにつれ風が段々弱くなってきて、フライトを予約した時間の30分前のATIS(空港情報)では突風が24ノット。ぎりぎりです。

スカイコンディション(雲)は1600フィートに全天の1/8~2/8がちぎれ雲(積雲)、そして2500フィートに全天の5/8の層積雲があるとのこと。学校の規定でクロスカントリーに行くときは空を覆うような雲が3000フィート以下のところにあると野外飛行しちゃいけないということになっていました。でも空を見上げても空を殆ど覆うような雲なんてどこにもありません。


このように空(空港から見える範囲内で)を8分割して、その内5つのセクションに雲があればBKN (Broken、ブロークン)、8つのセクション全てに雲があればOVC(Overcast、オーバーキャスト)となりBKNからはシーリング(天井)と呼ばれ、そのシーリングが低いところにあると危険なのでVFR(有視界飛行)では飛べないということになります。


先ほど確認した情報はなにかの間違いだろうとディスパッチャー(フライトスクールの場合だと受付に該当)に聞くと、ATISがそういっている以上飛ばすことはできないと。でもどう考えても空港の気象観測が誤っているとしか考えられないので、妻のために買い物済ませもう一度新しい情報が出る頃空港に戻り再びATISをチェックしてみたら、案の定スカイクリア(雲一切なし)と訂正されていました。

結局無事に飛行機をレンタルすることができましたが、エンジンがかからない。。風が強かった間誰も飛んでなかったのでその間にエンジンが冷え切ってしまったのです。エンジンプラグに霜が付いているイメージが頭に浮かびました。プレヒート(ヒーターでエンジンを温める)もしたんでdすけどね。。

再度気を取り直してプライマー(エンジンに燃料を供給する一種の手動ポンプ)に手を掛け6回ポンプしましたが、やっぱりかかりません。3回目チャレンジも失敗。今日は飛ばないほうがいいよって誰かがいってるのかなぁ。。。

2013年11月14日木曜日

[思い出のフライト 5] ハイパーベンチレーション!友達の命がけの告白!

僕の友達でもあり、僕の髪をいつも切ってくれるヘヤドレッサーと日本から遊びに来た彼の彼女さんを乗せて昨晩ナイトフライトを楽しんできました。

彼にはちょっとした企みがあって、彼女にはナイトフライトのことは内緒。僕が彼らを待ち合わせの場所でピックアップして内緒のまま車で空港まで連れて行きました。

空港に到着してこれからナイトフライトでトロント上空を遊覧飛行すると言うとびっくりしながらも彼女は喜んでいました。

ちょっと風がきつかったですが、すんなりと離陸。マーカム空港に隣接するバトンビル空港に許可をもらいサクッと管制空域を横切ってビリービショップ(シティーセンター)空港の管制空域に。今日はCNタワーの北側を旋回して夜間遊覧飛行を楽しみました。

ある程度夜間遊覧飛行を楽しんだ後、僕が「実はサプライズはこれだけじゃないんですよね。」と友達に振りました。

彼には[思い出のフライト3]で書いた僕の妻へのプロポーズの話をしたことがあって、それを聞いた彼は是非僕に力を貸してください!とこのフライトに挑んだのでした。


彼は少し前振りをして彼女に「結婚しよう!」と伝えました。

結果は、


見事大成功!僕は自分の事のように嬉しくて「やったー!」と喜び二人と握手。

その後少しまた遊覧飛行を楽しんでベースのマーカム空港へ帰ることにしました。

そして「じゃそろそろ帰りましょうか!」と僕が言うと、彼が返事しません。なんと乗り物酔いになってしかも極度の不安と緊張で過呼吸(ハイパーベンチレーション)になっていました!

後で聞いたのですが彼は高いところが苦手だったようで小型飛行機で飛ぶなんてもってのほか。
まさに命がけでこのナイトフライトに挑みプロポーズしたのでした。その彼の命がけの行動は見事に報われましたが、僕は帰りの飛行中何度も彼に声を掛けながら飛行し、追い風も手伝って早くそして無事に到着しました。到着して後ろに座っている彼を見ると涙を流して動けなくなっていました。。。

そんな彼をみて「ホンマに良くやった!すごいわ!」と励まして涙を拭いてあげました。

僕みたいに飛行機が好きで上空で少しくらい揺れても全然大丈夫な人もいれば、彼のように乗り物酔いになる人もいます。それを僕は経験上ちゃんとわかっているので、離陸前に彼らにビニール袋を渡していました。そのビニール袋を使い彼は自分の吐いた二酸化酸素を吸って彼の過呼吸を和らげることができたのが不幸中の幸いでした。

プロポーズされた彼女はというとケロッと全然平気。彼女は「私までダメになっちゃうと彼の状態が余計悪くなると思ってずっと笑ってました。」と。やっぱり女の人は強く素晴らしいと思わせてくれました。

プロポーズって勇気いりますよね。でも男なら彼のように命がけでプロポーズするくらいの気持ちでいかないと。もし力を貸して欲しいという方がいればいつでも連絡ください!今のところ百発百中の成功率!いつでも待ってますよ!

お二人ともいつまでも末永くお幸せに。本当におめでとう!

それではまた[思い出のフライト]お楽しみに~!
次回は、9. [思い出のフライト 6] 一人で夜のクロスカントリー(夜間野外飛行)。空から自分で滑走路灯を点灯し、飛行速度370km/h!?で飛んだ夜です!

ありがとうございます。


にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ
にほんブログ村

2013年11月12日火曜日

[思い出のフライト 4] 野生動物たちと飛んだあの日 (Fly with wildlife)

今日も[思い出のフライト]をお送りしたいと思います。これはカナダならではというか非常にドキドキ・ワクワクしたフライトでこれも忘れられないフライトの一つです。


飛行機操縦というのは車の運転と同じで慣れてくるとそんなに難しいものではありません。でも管制官とやり取りする航空無線が結構難しい。決まり文句であればスラっと言えるしすんなり聞こえますが、イレギュラーな事を言われると何言ってるかわからないのが本当のところです。

初ソロフライトを終えた後、しばらくしてまた一人で飛び、サーキット訓練をやっていた時のことでした。一人で飛べると言ってもまだどこかにフラッと一人で飛んで行く事はできません。まだそれほどの技量がなく空港の周りを飛ぶのが精一杯という感じの頃でした。

一通り無線の文句も覚えているのでサーキット訓練をする上での無線のやり取りはお手のものです。離陸の許可をもらって離陸して、自分の意図を伝えて着陸許可をもらって着陸する。何回やっても同じフレーズで特に問題なくできていました。

ですが、その日はまったく勉強したことない、聞いたことない事を言われました。

僕が数回タッチアンドゴーをした後また滑走路に並行して反対方向に進むダウンウィンドに入り、いつも通り自分の位置を伝え、タッチアンドゴーの許可をもらうために管制官に連絡した時でした。いつもなら風の情報と自分は何番目に着陸するかなど教えてくれますが、その時は「カヨーリ、カヨーリ」という言葉が聞こえてきました。

カヨーリ?座学でも本の中でも習ったことない聞いたことのない言葉です。その言葉の意味が理解できませんでしたが、着陸しても良いというのはわかりました。僕は「了解」と返事をして滑走路に進入していきました。

すると、進入中遠くからでも前方の滑走路にさっきまではいなかった何かがいました。犬のような狼のような野生動物が3匹ほど滑走路をウロウロしています。

僕はこれのことか!と思いながら進入を続けました。幸い近づいて行くとその野生動物は滑走路脇に逃げていきます。僕は着陸できると判断しそのまま着陸しました。

するとその野生動物たちが僕の飛行機の真横に寄ってきて、一緒に滑走路を走るではありませんか。横を見るといつまでもついてきます。まるで僕たちも一緒に飛びたいよ!と言わんばかりにその早い足でついてきます。

僕は離陸速度に達したので操縦桿を引き再び上昇してきました。後ろを振り返ると「あれ、あいつどこ行った?」という感じでまだその野生動物たちは滑走路をウロウロしていました。

飛行機に接触すればあわや大惨事といった出来事ですが、僕はなぜか少し幸せな気分になっていました。カナダらしいというか滅多にない出来事を楽しんでいましたね。「うぉーなんかすごい!」って感じで。

その後また着陸しましたがその時はもうどこかに行っちゃってて、僕はその着陸を最後に無事訓練を終えたのでした。

コヨーテと一緒に滑走路を走った。
"Coyote" そのままローマ字読みしても「コヨーテ」になりますよね。日本人はそう読みます。でもこっちではなぜか「カヨーリ」と発音します。あの時管制官は「コヨーテがいるから気をつけてね。」と言っていたのでした。

仮にコヨーテと言われてもわからなかったかもしれません。本当イレギュラーな事を言われると聞こえていても頭に入ってこないので。それにしても本当ドキドキ・ワクワクしたフライトでした。
野生動物と一緒に飛んだ?フライトなんて後にも先にもありません。コヨーテの英語の発音も知ることができた非常に貴重な経験でした。

それではまた次回の[思い出のフライト]お楽しみに~!
次回は、[思い出のフライト 5] ハイパーベンチレーション!友達の命がけの告白!です!

ありがとうございます。


にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ
にほんブログ村

2013年11月11日月曜日

[思い出のフライト 3] トロント上空で夜景を観ながらプロポーズ。答えがNoだったら急降下!?

想い出深いフライトを書き記す[思い出のフライト集]。今日は妻にプロポーズした話を書きたいと思います。プロポーズしたことなんて他人に言う話ではないかもしれませんが、とっても想い出深いフライトの一つなので。


自家用飛行機の免許の取得中は学生として1年ほどカナダに住み英語もそれなりに上達しました。英語上達のためステイ先はカナダ人の家を選び、ホームステイして生の英語に毎日触れ、積極的に使うように努力しました。同じ志をもった日本人の仲間が入居してきたら家の中では日本語を禁止にして英語を使うようにお願いしました。それは夢を叶えるために英語の上達が必須であることと、ホストファミリーが僕らが日本語で話していると何を話しているかわからないのであまりいい気持ちはしないだろうというのが理由でした。

英語が上達したと実感できたのは約半年経ったころでしょうか。インターネットの契約がホストファミリーとは別だったので自分で新たに契約するために地元のケーブル会社に行った時のことでした。事情を説明して新たに契約したいと言った時に担当の人が「日本人でしょ?カナダに来てどれくらい?」と聞いてきました。「約半年です。」と答えると「英語上手ねぇ!」と言ってくれました。まぁお世辞とは言え素直に嬉しかったですね。やっぱり他人から言われると自分の上達度がわかるというか。その後も何回か上手だということを他の人からも言われ英語の勉強にも益々精が出るのでした。

僕が自家用飛行機の免許を取った後しばらくして日本(大阪)に帰国しました。そのまま続けて事業用操縦士免許を取りたかったのですが、一度日本に帰ってお金を更に蓄えてカナダに戻ってくることにしました。日本に帰ってからもせっかく上達した英語力を失いたくないと思い、仕事も然り英語環境に身を置ける場所に常に積極的に行くようにしました。そんなことをしている過程の中、自然と今の妻と出会うこととなります。

妻と出会って約半年くらいで妻はカナダに帰ることになりました。僕は彼女を追いかけるようにその約数カ月後に再びカナダに戻ってきました。戻ってきた場所はバンクーバーではなく妻が住んでいたトロント。バンクーバー滞在時に一度訪れたことがありますが、カナダ最大の都市トロントに住み訓練を再開することになりました。

早速フライトスクールを見つけて飛び始めました。バンクーバーとは違った環境、地形に戸惑い正直自信を失ったこともあります。それでも訓練を続け、徐々にトロントで飛ぶことに慣れて来ました。しばらくして自信がついてきたところで妻を初めてナイトフライトに連れて行きました。

セスナ172Rのコックピット
光る計器が気分を盛り上げてくれます。
ベース空港としていたトロントの北東にあるバトンビル空港
写真中央少し左の黒い部分が空港です。
エアラインの飛行機に乗ってももちろん夜景を楽しむことができますが、小型飛行機の方がより迫力があると思います。CNタワーの周りをゆっくりと旋回してトロントの夜景を2人だけで堪能しました。宝石箱をひっくり返したようなキラキラしたカナダ最大の夜景は自然と妻の心を捉えました。

北東からトロントのダウンタウンの上空へ

CNタワーの真横へ。
ロジャースセンター(野球ドーム)も見えます。
高度計は2000フィートを示しています。
CNタワーより少し上600mくらいのところです。
そろそろ帰る時間となった時に、僕は「帰るルートを示した特別な地図が、あれどこにしまったかな?あれないな。。。」とちょっと演技して右隣に座っている妻を少しだけ不安にさせて「あっ、あったあった。」とポケットの中から地図ではなく指輪の入った箱を妻の目の前に差し出しました。妻はびっくりしながらもその箱を手にしそっと箱を開けました。そこには小さいですがトロントの夜景に負けないくらいの輝きをもった宝石がありました。その指輪を見つめる妻に、



「Will you marry me?」と僕は言いました。

ドキドキしましたけど、答えはもちろん「Yes」でした。


努力してきたことはきっとなにかに繋がる。
英語の努力、訓練の努力が一度にすべて報われた瞬間でした。

近いうち今度は息子も連れて家族でナイトフライトに出かけたいですね。

今回の[思い出のフライト]いかがでしたでしょうか。まだまだ沢山思い出に残ったフライトがあります。また次回の[思い出のフライト]をお楽しみに~!

次回は、7. [思い出のフライト 4] 野生動物たちと飛んだあの日 (Fly with wildlife)です!

ありがとうございます。

にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ
にほんブログ村

2013年10月29日火曜日

[思い出のフライト2の続き] 絶体絶命、ホワイトアウト!?恐怖のナイトフライト 後編

視界が遮られるホワイトアウト
視界はどんどん悪くなっていきます。これがホワイトアウトか、というくらい前が見えなくなってきました。ナイトフライトでホワイトアウト、最悪です!次第にフロントガラスの下の方になにか積もってきました。雪でした。少し粘っけのあるというかシャーベット状の雪が段々積もってきたのです。

「これ、ホンマにやばいんちゃうん!?」という友だちに「いやいや大丈夫や!」とさらに強気で言いましたが、心臓はバクバクしてました。経験したこともない視界の悪さ、雪がフロントガラスに積もるって、そんなん体験したことない!

そんなもんワイパーで落とせばええやんと思うかもしれませんが、実は旅客機にはついていますが小型飛行機にはワイパーなんてついていません。フライト中に雨が降ってきても風圧で飛んでいくのでワイパーなんて必要ないんです。じゃこんなときどうすればいいのか!積もっていく粘り気のある雪をどうやって吹き飛ばずのか。

セスナ172のコックピット
パイロット・イン・コマンド(機長)は僕です。心臓バクバクの中、自分こそが冷静にならんとアカン!と思い、冷静に状況を把握するために、まずはコクピットチェックを行いました。マスタースイッチはオンになっている、エンジンオイル温度はまだ正常で燃料もまだちゃんとあることを確認し、念のためキャブレター(過給器)ヒートをオンにしました。寒くて湿度がある時はこのキャブレター内にアイスができます。これが凍ってしまうとエンジンに空気と燃料の混合気がいかなくなってエンジンは止まってしまいます。それを防ぐためにエンジンで温められた空気をキャブレターに流し込みました。

それをしたからといってもちろん前方の視界は回復しません。でもコックピットチェックを行ったことで少しづつ冷静になってきました。エンジンは大丈夫。燃料もまだある。ピッツメドウ空港の管制区域を離れたけど前方やその周りに飛行機はいませんでした。いまモニターしている周波数にも他の飛行機の存在は確認できませんでしたが、念のため自分が飛んでいる場所や意図をモニターしている周波数で発信しました。反応はなし。視界が悪くてこのまま飛んでいても他の飛行機にぶつかることはないなと思いましたが、逆に少し孤独感が生まれました。

どうすればいい!と思いながらも更に冷静に考えました。上昇途中で視界が悪くなり雪が降ってきた、つまり自分の頭上には大きな雲があると。おそらく寒冷前線でできた雪を発生させている雲があってその中にいま自分は入っていっている。予定高度を下げてその雲を避け、下降することで速度を上げてその風圧で雪を飛ばせないかと考えました。

もう一度キャブレターヒートがオンになっていることを確認して下降していきました。速度を徐々に上げていきました。もう神頼みで「お願い!たのむ!」という感じで下降を続けました。すると視界が徐々に開けてきて前方が見えやすくなってきました!よし!思いが通じたのか視界を徐々に遮ろうとしていた雪もどんどんなくなっていき、すっかり前が見えるようになりました。

友達も僕もホッと一安心。そのまま最低高度を維持しながらバンクーバーのダウンタウンの上空へ向かいました。さっきまでの危機的な状況が嘘のように綺麗なバンクーバーの夜景を観ることができました。友達も息を呑むようにその夜景に魅せられていました。

夜のバンクーバー
少しダウンタウンの上空をぐるぐると飛んで夜の遊覧飛行を楽しんだ後は南に位置するバンクーバー国際空港へ。旅客機の上を飛ぶと少し優越感に浸れます。その後も問題なくベースの空港へ向かい、特にトラフィックもなくスムーズに着陸できました。友達は着陸と同時に拍手をして「ありがとう!留学の最後に最高の思い出ができたわ!」と言ってくれました。天国と地獄を味わったフライトでしたが、結果オーライです。本当に良かった。

思うと非常に怖いフライトでしたが、あの時に冷静に判断でき行動したことが大事に至らずに済んだと思っています。パイロットなら誰でもそうすると思いますが、パニックになることだって十分あります。以外にも僕はあの時頭のなかで色んなことを考えることができました。人によってはこういう恐怖体験で二度と飛びたくないと思うかもしれませんが、僕の場合は大きな自信となりました。

でも各ポイントに行くおおよその時間からその時間帯に前線は大体どこにあるかなど天気情報や天気図をしっかりと解析しないといけないなと感じました。と言いながらもその後も同じような境遇に遭ったことがありますけども。。それはまた別の[思い出のフライト]でお話したいと思います。お楽しみに!


ありがとうございます。


2013年10月28日月曜日

[思い出のフライト2] 絶体絶命、ホワイトアウト!?恐怖のナイトフライト 前編

ソロフライトを終えてその後も訓練や勉強に励み、色々と困難なことも沢山ありましたが訓練をはじめて約4ヶ月で自家用飛行機の免許を取得することができました。同じ志を持つ仲間の存在や春先からバンクーバーの雨季の前という良い天候が続く時期に集中して訓練ができたのが功を奏したと思います。

自家用飛行機の免許が取れれば後は自分次第でどこでも好きなところへ行くことができます。もちろん自分が持っている力、判断力、自分ができる範囲でフライトを立て無事に帰ってこなければなりません。今回お話するフライトはそういう基本的な事をつくづく思い知らされたフライトでした。

前の記事でバンクーバーのとある英語学校に1ヶ月通っていたと言いましたが、そこで沢山の友達に出会いました。僕が免許をとってしばらくした後、その友達の一人がもうすぐ日本に帰るというので帰る前に是非とも飛行機に乗ってみたいという彼の願いを叶えるべく、その友達の友達ものせて3人でナイトフライトに出かけました。

ナイトフライト(夜間飛行)を行うには夜間飛行証明というのが必要で自家用飛行機の免許取得後すぐにそれを取り、ホストファザーの誕生日にナイトフライトをプレゼントするなどナイトフライトをするにあたって資格も知識も特に問題なくありました。

日本に帰国する友達を乗せた時のナイトフライトのルートは下のような感じです。

地図の下にあるベース空港のバウンダリーベイ空港から北東に向かいピッツメドウ空港へ。その後は西に向かい、バンクーバーのダウンタウンの上空へ。遊覧飛行を楽しんだ後、南下してバンクーバー国際空港の上を飛び、バウンダリーベイ空港に戻るといったルートです。

実はフライト前の天候はあまり良くありませんでした。天候次第では諦めようと思っていましたがフライトの出発時間が近づくにつれて回復の兆しが見え始めたことと、日本に帰国する友達に最高のナイトビューをみせて感動させたいという思いでフライトを決行することにしました。

途中ピッツメドウ空港に寄るのは少し自分の訓練も含め、またただバンクーバーの上空を飛んでもあまり面白みがないかとおもって、ピッツメドウ空港でタッチ・アンド・ゴー(着陸してすぐに離陸する)をすることにしました。後になって思えばこのピッツメドウ空港に寄ったことがあの絶体絶命の危機に遭遇することになったのでした。

フライト前のウォークアラウンド(機内外チェック)を済ませた僕は友達を乗せて出発しました。いまでも覚えていますが、その時の友達の興奮はかなりすごかった。エンジンが点くやいなや「おーやばい!エンジン点いたで!まじでまじでこれから飛ぶで!」と無線が聞こえないくらいはしゃいでいたのでもちろん注意しましたけども、初めての小型飛行機でしかもナイトフライト。はしゃいでも仕方ないと思いました。

何回か経験済みの僕でもナイトフライトはやっぱり興奮します。特に滑走路灯が綺麗なんですよ。滑走路まで向かう途中徐々にテンションが上がっていき、滑走路に入ると滑走路の幅を示す整然とした光がとても綺麗です。その光が離陸時に後方に走るように進んで行くの見るとなんとも言えない高揚した気持ちになります。

離陸した後も友達の興奮はさらに上がっていきます。「うおー俺たち飛んでるでー!」といった感じでピッツメドウ空港に行くまで景色を観たり、暗いところで光る計器をみていろんなことを質問してきてずっと楽しそうにしてました。彼らを飛行機に乗せてあげることができて心からよかったとそう思いました。

そんな雰囲気の中徐々にピッツメドウ空港に近づいてきました。ATIS(エーティス:空港情報)を確認。風は西から吹いていました。管制にタッチ・アンド・ゴーの意思を伝え、管制区域に進入。無事にタッチ・アンド・ゴーを済ませ、そのまま西の方角に進みながら予定高度まで上昇していきました。

恐怖の兆しが見えたのはその上昇していく途中でのことでした。段々と前方の視界が悪くなってきました。前方がモヤモヤとしてきて街の明かりが見えづらくなってきました。なんかいやな感じと思っていたら、それがどんどん濃くなってきました。横の窓から下をみても同じです。景色が見えなくなってきました。さっきまであんなにはしゃいていた友達が急に静かになって「これってなんかやばいんちゃうん?」と聞いてきました。

僕は咄嗟に「大丈夫!大丈夫!」と返しました。ここで僕が「いや、これやばいどころちゃうで...」と言ったらさっきまで興奮していた友達が今度はパニックになると思ったからです。友達の不安を少しでも抑えながらそれでもまだそのまま上昇していきました。

さてさて、この後僕らの運命は!?明日またこの続きを書きたいと思います。
お楽しみに!

ありがとうございます。

にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ
にほんブログ村

2013年10月25日金曜日

[思い出のフライト1の続き] 興奮しまくった初めてのソロフライト (My first solo flight) 後編

前編はこちらをどうぞ!
昔:ソロフライトを成功させたBC州デルタ市にある
バウンダリーベイ空港 (CZBB)
今:2010年のバンクーバーオリンピックのお陰で
こんなに見違えるように綺麗な空港になりました!
航空身体検査を無事にパスして一つ飛行機乗りとして近づいた僕は、次なる試験に向かいました。それは無線通信士の試験です。英語ができない当時の僕にとってはこれもなかなか難関でした。航空無線は基本は英語を使って通信しますが通常会話の英語ではありません。英単語などを並べてより簡潔に相手に伝えます。

例えば離陸前に管制官に離陸の許可をもらいますが、もし飛行機の名前がCGQPという名前であれば、
”〇〇Tower, this is CGQP. I am waiting for take-off in front of runway 24. Please give me a clearance for take-off.”「〇〇管制、こちらはCGQP。今ランウェイ24の前で離陸のため待機しています。離陸の許可をください。」というのを「〇〇Tower, CGQP ready for take-off runway 24」という簡潔したもので離陸の許可をもらいます。

またフェネティックコードといって無線通話などにおいて重要な文字・数字の組み合わせを正確に伝達するためのもので、例えばTであれば「ティー」と言わずに「タンゴ」といいます。ティーだとP「ピー」やB「ビー」に聞こえる場合があるので誤聞を防ぐためにこのフェネティックコードを使用します。Pはちなみに「パパ」、Bは「ブラボー」といいいます。上記の飛行機の名前だと「チャーリー、ゴルフ、クベック(ケベック)、パパ」となります。9も「ナイン」と言わずに「ナイナー」と言ったりします。無線のライセンスを持っていなくても例えば旅行会社の人ならこれを知っている人は沢山いらっしゃいますね。その他SOS、Maydayコールなど勉強することが山ほどありました。

そしてもう一つの試験がPSTARです。Pre-Solo Test of Air Regulationsの略ですが主に航空法規についての試験で、空のルールをまず知っていないと一人では飛べないよということで、このテストは50問あって90%以上正解がないとパスできません。これらをパスして初めて一人で飛べる資格を得ます。

また身体検査、筆記試験の他にもちろん飛行機操縦のチェックもあります。訓練の初めのころはインストラクターとエアエクササイズを集中して訓練しますが、ソロの前になるとサーキットトレーニングといって、空港の周りをぐるぐる飛んで着陸しては離陸してまた着陸しては離陸といった離着陸の訓練を繰り返します。一人で飛んで戻ってくるにはこの離着陸なしではありえませんからね。これも最初はインストラクターと共に操縦桿を握ってその技量を自分の物にしていき次第に一人でやれるようになっていきます。操縦しながら管制とやり取りして自分の居場所を伝え自分が何番目に着陸できるかを把握して、着陸前に全ての機器などが正常に作動しているかコックピット内でチェックをします。初めのころはこのいろんな作業で頭が混乱したのを覚えています。

様々な試験をパスして、このサーキット訓練を何日か繰り返していたある日、とうとう一人で飛ぶ日がやって来ました。インストラクターとまずは一緒に飛んで3回自分ひとりだけで離着陸が問題なくできれば、一回降りて駐機場でインストラクターを降ろし、また離陸に向けて今度は一人だけで出発するというのがソロフライト前のルールでした。

僕は問題なく3回自分だけの力で離着陸をすることに成功し、インストラクターを降ろし一人だけでまた滑走路に向かいました。その日の天候はあまり良いとはいえませんでしたが、風はそんなにきつい日ではありませんでした。右隣にいつも座っていたインストラクターはいません。僕は誰もいない席を手で触れその空間を手でぐるぐる回して、「誰もおらん!俺だけやで! マジで!やばいやばい!」とすでに興奮してました。
サーキットパターン例
滑走路はランウェイ12。南東から風が穏やかに吹いていました。横風はほとんどなかったと思います。管制に離陸の許可をもらって風に向かって飛ぶ鳥と同じく、その穏やかな風に向かって一人で飛び立ちました(Upwind)。空港の標高から500フィート(約152m)辺りでいつも目印としている山頂を目視して上昇しながら左方向へ90度旋回します(Crosswind)。更に500フィート上がる前にまた左に90度旋回してサーキットの高度に到達(Downwind)。左下を見るとさっき自分がいた滑走路が見えます。滑走路に並行して今度は追い風の中を飛行するためあっという間に次の旋回ポイントに近づきます。

でもこのDownwindを飛行中に管制に連絡して自分の居場所と着陸の意思を伝え、着陸のチェック項目を素早く行わなければなりません。チェックし終わった後はすぐさま着陸のため飛行機を操作をします。スロットルを絞りトリムタブを3回下に回し左に旋回。管制にもう一度コンタクト。速度計を確認し操縦桿を引き機首を少し上げて着陸速度に合わせていきます。この時はフラップ(高揚力装置)は使わずノーマルで降りていきました。

左前に見える滑走路へまっすぐに入れるようまた左に下降旋回し速度を確認しながらファイナルレグに入っていきます。ファイナルレグでもう一度管制にコンタクトして着陸の許可をもらいます。許可がもらえなければそのまま着陸せずにゴーアラウンド。もう一度サーキットを回って着陸しなければなりません。許可を無事にもらえたら後は着陸するのみです。12と滑走路に大きく描かれた数字の少し先を着陸ポイント(接点)としました。速度を維持しながら機体を操縦桿とラダーペダルで水平に保ちどんどん降りていきます。着陸ポイントまでであと少し。機首を上げてフレアというのをかけます。失速に近いくらいまで機首を上げてふわりと着陸。見事着陸成功!

仲間はもちろんのことホストファミリーもわざわざ僕のファーストソロフライトを見届けるため空港まで来てくれていました。着陸した瞬間僕は飛行機の窓を開けて彼らに向かって叫んでやりました。「やったぞー!着陸したぞー!I did it!」って。それでそのまま滑走路を走ってスロットルを全開にして再びカナダの空へ飛び立っていきました。もう一度サーキットを行うためです。今度は上空で窓を開けて窓から顔を半分だして下に向かって叫びました。「最高!俺一人で飛んでるでー!よっしゃー!」って。これ読んだ人はなにやってんの!危ないしそんなやったらあかんやろ!と突っ込まれそうですが、興奮してやっちゃいました。。(まぁそれくらい余裕があるほど上達したのでした。低い高度なので窓を開けても全然問題ありません。万が一機体が制御不能となった場合、ドアを開けたりして機体を制御するという荒技があるくらいです。実際飛行中左のドアを開けるとヨー(横向き)の動きが生まれます。)

さらにもう一回計3回程サーキットをやって無事に駐機場まで戻ってきました。エンジンをとめて飛行機を駐機し、皆が待ってくれているターミナル横のピクニックテーブルへ。皆バケツいっぱいの水やホースの水を思いっきり僕に向かって掛け初ソロフライトの成功を祝ってくれました。カナダではソロフライトを無事に終えたパイロットに水をかけるというのが儀式になっています。僕はそのことを知っていたのでなんと実は水着で空を飛んだのでした。もちろん上半身はTシャツを着てましたよ。

びしょびしょに濡れた体でホストマザーに「ハグ!ハグ!」といって近寄りましたが案の定逃げられました。。皆にありがとう!と御礼を言って拍手の中びしょ濡れで無事に初ソロフライトを終えたのでした。忘れられないフライト、忘れられない最高の一日となりました。

また長々と書いてしまいましたが、このような心に残る「思い出のフライト」をまた書きたいと思います!それではまた!

ありがとうございます。

次回は、4. [思い出のフライト2] 絶体絶命、ホワイトアウト!?恐怖のナイトフライト 前編です!

にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ
にほんブログ村

2013年10月24日木曜日

[思い出のフライト1] 興奮しまくった初めてのソロフライト (My first solo flight) 前編

「初心忘れるべからず」
初めての時の気持ちを忘れずに昨日より今日少しでも進歩できるよう過去の自分を振り返ることは決して悪いことではないと思います。あの頃できなかった事が今はできている。できないと思っていたことはきっといつかできるようになる!今の自分を鼓舞させるためにも今の自分にとってとても重要な事柄である飛行機操縦について少しずつこのブログで自らの飛行体験を時々書いていこうと思います。

今日は初めて一人で飛んだ時の事(前編)を書いてみようと思います。

日本の大学で航空工学を学んだ僕は飛行機操縦にとても興味があり研究職をしていた当時、実験データーを取得中というか仕事中にインターネットでバンクーバーにあるフライトスクールのウェブサイトをみてたんですね…それで、その時になんかうわっと思い立ってその年の年末に1週間の航空留学を体験することにしました。

インストラクターと共にバンクーバーの空を飛び、失速、スピンといったエアエクササイズも経験し、ウィスラーの雪山やその狭間にある美しい青色の湖を空から観てその全てに一瞬で魅せられてしまいました。

その当時英語なんて全くできませんでしたが、それらの感動が冷めやらぬ内にその数カ月後に会社を辞め自家用飛行機の免許取得のためバンクーバーに行く決意をしました。学校ではもちろん英語で授業を受けますのでバンクーバーに着いてからはまずは市内の英語学校に入学し約1ヶ月集中して英語を勉強し(もちろんそんな短期間で上達なんてしませんでしたがf^_^;)その後すぐフライトスクールに入校しました。

幸い僕と同じく飛行機免許の取得を目指し来ていた日本人が沢山いてその仲間と切磋琢磨して大変充実した生活を送ることができました。誰が一番最初にソロで飛べるかなんて競い合いながら楽しくて刺激一杯で本当に仲間には助けられました。ありがたかったです。このソロで飛ぶ、一人で飛ぶというのが非常に大変で、いくつかの試験をパスしないといけません。

僕にはこれが21に見えますけど
正常ならば74だそうです。
その一つが航空身体検査。メディカルライセンスは自家用飛行機免許取得時に必要となりますが、訓練開始と同時に早めに受けておく必要があります。というのはこれによって早い段階で自分の体は飛行機乗りとして適しているかを判断できるわけです。早い段階でこの航空身体検査にパスできないと分かれば訓練費やその時間を費やさずにすむわけです。健康な両親のお陰で僕もありがたく健康に育ちました。視力は今でも1.5くらいあると思います。そんな僕でも見事に目で引っ掛かってしまいました。色盲検査です。

有名なあの石原式の色盲検査、数字を読むあれが幾つか分からないものがあります。。日常生活では全然問題ないのですが、小さいころこのテストを受けた時はあぁ僕は色盲なんだと少しショックを受けたのを覚えています。そのことをすっかり忘れていた僕はこの検査表が出てきたときは「あっやばい!」と本当にドキドキしました。検査医に聞かれてもやっぱり数字が分からない。段々先生の顔が渋くなってこれはいかんねと。あーこれで自分の夢も終わりだぁ。。。と非常に愕然としたことをいまでも鮮明に覚えています。でもその先生はこの石原式がある程度は有効であるけど全員が全員これで判断できるものではないことを知っていました。そこでその先生はここではできないけども別のところで別のテストを受けて来なさいと仰ってくれました。それがD-15という検査でした。
近い色を左から順番に並べていく色盲検査D-15
D-15は一番左にある色以外はケースから出すことができてバラバラにされた状態で渡されます。その固定された一番左の色に近い色を探してその横に置き、またその色に近いものを横にどんどん置いていくという色盲の検査です。色盲でなければ色が綺麗に変化していくように並べることができるはず。これがパスしないと夢は絶たれる。めちゃくちゃ緊張しましたね。やってると目がチカチカして本当にこれで合ってるかわからなくなってくるんですよ。それでも色を見て一つ一つ選んでいき夢に向かって「たのむ!!」という感じで置いていきました。

全部並べ終わって、もう一度よくみて何回も何回も見直しました。なんせ自分の大事な夢がこれに掛かっているんですから。これがパスできなければもう終わりですよ。ドキドキしながら先生を呼びました。「大丈夫?この並びでOK?」みたいに聞かれて「大丈夫です。。」と答えると、先生が「これをひっくり返すと全てのピースの裏に数字が書いてあってそれが1から15まで順番通り並んでいたら合格。」と言われました?これ書いていてもその時のドキドキ感が蘇ってきます。それで先生がバーンとひっくり返しました。もう目を覆いたくなるような気分でした。

結果は、見事綺麗に1から15まで並んでいました!

自分でも信じられないくらい見事に並んでました。それを見た時は本当にうれしかった。自分は色盲ではなかったこと、これで空を飛ぶことができるという一つの資格を得たこと。本当にうれしかったですね。実は僕は今事業用操縦士免許も持っていますが、事業用だと航空身体検査が第一種となり免許を維持していくには毎年身体検査を受けてパスしなければなりません。身体検査を受けるたびこの石原式で色盲検査を受けますが、危うく感じた時はこのD-15をパスしたことを告げるようにしています。

いつも色盲の検査を受ける度にこのD-15の検査を思い出します。D-15があってよかった。これがなく石原式だけだったら僕は色盲と判断され念願のパイロットのライセンスを取得できなかったのですから。

長々と僕の色盲の話を書いてしまいましたが、次回は他の試験の話、そしてソロフライトの感動をお伝えできればと思います!お楽しみに~!

後編はこちら、3. [思い出のフライト1の続き] 興奮しまくった初めてのソロフライト (My first solo flight) 後編です!

ありがとうございます。

にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ
にほんブログ村

2013年10月9日水曜日

自家用飛行機の免許(パイロット・ライセンス)はカナダで取ろう!(Canadian Pilot License)




子供のころにパイロットに憧れる人(特に男性)は多いと思います。僕もその類に漏れなかった一人。日本と比べるとここカナダでは比較的安く免許を取得することができます。もちろん座学や訓練、筆記試験(航空法規、航空航法、気象学、飛行機に関する一般知識)、実技試験などは簡単ではありませんが、取得できないことはありません。僕が自家用飛行機の免許を取得した時は紙切れのようなものでしたが、今はパスポートのような立派な免許書(上の写真)になりました。

免許を取得できれば天候が許す限り飛行機をいつでもレンタルして飛ぶことができます。カナダ国内に数えきれないほどの小さな空港が存在し、そこには大抵フライトスクールがありましてそこでレンタルできます。僕がいつも利用する空港はトロント市内から約40分程北東にあるマーカム空港です。この空港を保持、管理しているオーナーは、あの世界的な大手情報サービス企業のトムソン・ロイターのトムソンファミリーです。滑走路の全長は2,013ft(614m)という非常に小さく、小さい飛行機のみが利用できます。オーナーが好きなのでしょうかもう飛ぶことができなくなった戦闘機が沢山置いて(展示?)あります。



皆さん小さい飛行機を見るとみんな「セスナ」だと思うでしょうが、セスナはアメリカのセスナ航空機会社が生産する飛行機のことをいいます。日本では第二次世界大戦後セスナ社の飛行機が多数輸入されたため軽飛行機といえばセスナ、セスナといえば軽飛行機、とセスナという名前が軽飛行機の代名詞となりました。僕がいつもレンタルするのはそのセスナ社の172Rという機体です。その機体とコックピットの写真です。



機内はやはり狭いですが、後ろにも2席あり4人まで乗ることができます。1955年から生産が始まって現在でもまだ生産されています。「スカイホーク」という愛称があり民間軽飛行機の中で最も人気があり歴史上世界で最も多く生産された機体シリーズです。

時々このスカイホークに乗って爽快なカナダの青い空に向かって空の散歩に出かけます。今回は釣りやアイスフィッシングもできるスクゴク湖上空まで行ってきました。セスナ172の巡航速度は約200km/h位なので車と比べたら約半分の時間で目的地に到着できます。レンタル料金は場所によって違いますが、燃料費込みで一時間165ドル。30分で帰ってきたら半分の値段になります。オンタリオ州にはBC州のような高い山がありませんが、どこまでも続く地平線をはっきりと観ることができます。



下記マーカム空港の写真です。どこに空港があるかわかるでしょうか。

カナダの空は本当に気持ちいいですよ!


ありがとうございます。

次回2. [思い出のフライト1] 興奮しまくった初めてのソロフライト (My first soloflight) 前編です!


にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ
にほんブログ村